釜山便り(2)
日本国に正義はあるのか?
―たたかいの一年をかえりみて

挺身隊問題対策釜山協議会(釜山挺対協)会長 金文淑

1992年12月25日は、釜山に住む元従軍慰安婦のおばあちゃんたちが日本政府に対して戦争責任を問う、裁判という形のたたかいを始めた日だ。
 この裁判の正式名称は「釜山従軍慰安婦女子勤労挺身隊公式謝罪請求事件」である。2名の元従軍慰安婦と2名の女子勤労挺身隊、合わせて4名のおばあちゃんたちの生命をかけての絶叫である。
 日本の植民地、朝鮮に生きて、そして日本の侵略戦争、太平湯戦争の最大の犠牲者にさせられ、そのうえ戦後50年間見捨てられ、抹殺されてきた、国の権力による取り返しのつかない「破壊された人生」に対する恨(ハン)と怒りがおばあちゃんたちを泣かせ、そして叫ばせたのだ。
 その間の日本政府の態度はナンセンスの連続であり、無誠意の一言につきる。侵略戦争を認めた細川首相にかけた期待もまたくずれてしまった。金泳三大統領の「物質的補償は求めない」との立派すぎる一言で、日本は真相究明の約束まできれいさっぱり忘れてしまった。そして今年(94年)の末までにいくばくかの基金を恵むとのありがたい声明を出して、死を前にしているおばあちゃんたちの心をもてあそんでいる。
 自意であろうと、他意であろうと、侵略戦争を支えた日本人に対しては、恩給だとか援護法だとかで、36兆円(編注・93年度末まで推定)も補償していながら、国全体を理不尽な日本の帝国主義的野望のため踏みにじられ、破壊され略奪され、戦争に駆り出されて、殺されてきたアジアの国々に全部ひとからげで約1兆円を支払って、戦後補償は十分にしたと豪語している日本の良心はどこにあるのだろうか。特に韓国に対してはその当時まずしかった日本としては大金の5億ドル(編注・無償3億、有償2億)を支払ったからそれでおしまいだそうだ。
 はたして軍隊慰安婦問題はそれでおしまいになるのだろうか。
 何十万人もの強制連行者の問題がそれでおしまいになるのだろうか。
 何千万人ものアジアの民衆の死がそれでおしまいになるだろうか。
 戦争被害者に対して、補償法がないから補償できないと言うならば、今からでも戦後補償法を作ればいい。日本国憲法は、日本は道義的国家たるべき義務を課しているはずだ。無残に犯し、残虐に殺した生命に対し、今日本は謙虚に道義的責任を背負うべきだと思う。それが、次の世代に「よい国、日本」をバトンタッチできる第一歩だと信じてやまない。
 貧困のどん底で人間以下の生を強いられながら生き延びてきたおばあちゃんたちに、今幾とせでも最小限度の人間らしい生活と、失ってしまった人間としての自尊心を持たせて死なせてやりたい一心あるのみである。そして壮烈なこの人間のたたかいに勝ち抜くことによって、地球上からいかなる戦争をも無くしたい。

 1993年12月13日、さらに5人のおばあちゃんたちが追加して提訴した。1人の元従軍慰安婦と4人の女子勤労挺身隊が裁判所下関支部に出向いて訴状を出した。
 下関は彼女たちが運ばれてきた最初の日本の港。今は面影もないフェリー埠頭でおばあちゃんたちは、13歳の幼き日々のあまりの生々しい痛みと思い出に、皆涙ぐんだ。そして身震いした。
 たたかいの道は遠い。そして暗い。
 一年を省みて思うことは、日本国にはたして正義はあるのかと、だれかれの胸ぐらをゆすりたいもどかしさと、たくさんの良心ある知識人たちが真心を込めて寄せてくれる支援の暖かさ、そして正しい信念でともにたたかってくれる12人の弁護士たちの立派さ。私たちはまだまだがんばりが足りないと反省する気持ちが交錯する。
 一日も早く日本政府は合法的補償法を制定してほしい。そのための戦後補償機関を設置してほしい。

 1994年新しい年明けに、福岡、北九州、下関の支援会のみなさまに、おばあちゃんたちの愛と信頼を送ります。
 ありがとう。そしてまたありがとう。
 今年も正義と人権のたたかいの場でがんばりましょう。

追伸

 朴頭理(パク・トゥリ)ばあちゃんは政府のくれた500万ウォン(70万円)では小さい部屋も借りられないので、釜山に来るのは諦めて、分かちあいの家で暮らしています。とても元気になりました。3月にはぜひ福岡に行きたいと言っています。

 河順女(ハ・スンニョ)ばあちゃんも病院に行ったり、観光に行ったりの生活でずいぶん元気を出していますが、頭の痛いのがまだよくならないようです。

 朴SOさんはソウルでさみしいさみしいと愚痴をこぼしながら暮らしています。