不二越門前で怒り爆発  懐かしさも、希望も打ち砕かれた

                第2次不二越女子勤労挺身隊未払い賃金請求闘争はじまる

                                                     花房俊雄

      ◆第2次不二越闘争の開始

 昨年7月の不二越未払い賃金訴訟の最高裁和解から1年有余、韓国では現在46名の元女子勤労挺身隊員らが未払い賃金の解決を求めて、「NACHI 不二越 戦時下 小学生 強制労働 未拂金請求団」を結成し、代表6名が来日した。(NACHIとは昭和天皇の御召し艦である「那智」からとった不二越の商号) その中には関釜裁判の原告・朴SOさんも加わっていた。一行は10月28日関釜連絡船で下関に到着、出迎えた私は今回の不二越との交渉の旅に同行した。

 翌29日は東京の浜松町にある貿易センタービル25Fにある不二越東京本社との交渉に臨んだ。東京の谷川さんが日本側の世話人として立ち会った。対応した責任者は「こうした問題は富山の本社が扱う。我々は何も知らないから対応できない。解決したと聞いている」と繰り返すばかりで、遠路やって来た元従業員にお茶も椅子も出すことを拒む無情な対応であった。

 翌30日、JRで富山入り。広島から駆けつけていた土井さんが富山の支援の人達と迎えてくれた。翌31日午前中、富山社会保険事務所を訪れ、25名分の書類を提出し、元不二越の社員であったことを厚生年金の記録を照合して証明すること、保険の掛け金の払い戻しを申し入れた。

 そして午後1時半、元女子勤労挺身隊のハルモニら6人が56年前の未払い賃金の支払いを求める交渉のため不二越本社・富山事業所に到着した。支援者は大和さん(平和をつくる富山県連絡会のメンバー)、戸口さん、関釜裁判を支援する会の土井・花房ら10人余。不二越本社・富山事業所正面玄関は鉄柵が堅く閉められ、その背後に10数人の屈強なガードマンが無表情に立ち並んでいた。多数の報道陣も待ち構えている。私が「遠い韓国から従業員であった方々が未払い賃金の交渉に出掛けてきたのに、なぜ会社側は会おうとしないのか」と大声で問いかけると、ずんぐりと太った警備責任者の波さんが扉に近づき「当社の従業員であったかどうか確認できないから入れることはできない」と答える。

「証明できたら交渉に応じるのか」と問いかけると、「証明できて、会社の責任者が会うと言ったら扉を開ける。しかし昨年の最高裁和解ですべて解決済みだ」と言い放つ。ハルモニたちは「私たちは何も解決してないぞ、社長に合わせろ」と激しく詰め寄る。再度私が「昨年の最高裁で和解したのは7人だけだ。それ以外に46人が現在韓国で名乗り出ている。その代表が今日交渉にきている。なぜ解決済みと言えるのか、門を開けて中に入れてほしい」と詰め寄ると、波警備責任者は沈黙を決め込む。気性の激しい張Tハルモニが怒りも激しく丈1・5メートルぐらいの鉄柵によじ登り構内に突入しようとする。ガードマンが駆け寄り、中から押し返す。支援者も負けじと張ハルモニを外から支え、ついに構内に降り立つ。4、5人のガードマンが羽交い締めする。その隙に、すばしこい金Jハルモニが鉄柵を乗り越え、脱兎のごとく構内に突入する。そしてバイタリテーあふれる羅Tハルモニが合流する。構内は「社長に合わせろ、秘書でもいいから話を聞いてくれ」と叫び突入しようとするハルモニとガードマンとの激しい揉み合いが続く。「私たちはあなたたちの先輩だぞ!このひどい扱いは何だ、あなたたちも不二越から給料をもらって働いている。私たちが給料を払ってほしいと会いに来たのをなぜ邪魔するのか」と阻止するガードマンの胸を打ちながら振りほどこうとする。 やがて門の外で声を振り絞って抗議していた朴SOさんが倒れ込む。過呼吸に陥り、顔面蒼白になる。救急車が到着し、病院に連れて行こうとするが、鉄柵にしがみついて「悔しい、ここで死ぬ。ここで死ぬ」と叫びながら、やがて意識を失ってしまう。土井さんが付き添ってすぐ近くの不二越病院に運ばれる。やがて構内の張Tさんが力つきて倒れる。再び救急車がサイレンの音もけたたましく到着する。張さんを運び出すために鉄柵を開けた隙をついて、最年長の77歳の朴Jさんが構内に入り込み、毅然と進んで行く。

 攻防1時間余、力尽きてハルモニたちが座り込む。私と通訳の李さんが構内に入り、「もう、やめよう。これ以上傷ついてほしくない。外に出て記者たちに訴えよう」とハルモニを説得する。悔し涙を流しながら、金Jさんがうなずく。力つきた羅Tさんを支えながら朴Jさんも外に出る。そして記者に向かってハルモニたちは次々に訴える。「私たちは56年ぶりに、不二越に来た。懐かしさと、希望とそして不安を抱いて韓国から富山にやって来た。未払い賃金を払ってほしいと社長に会って話したかった。社長が忙しいなら秘書にでも会ってほしかった。私たちの希望は粉々に打ち砕かれた。平和的に話し会えるなら、こんな騒ぎは起こしたくなかった。なぜ不二越は幼かった少女の働いた金を返さないのか」と。記者会見の途中金Jさんが気分が悪くなり、倒れ込む。みたび救急車に運ばれる。

  一行は宿泊しているお寺の富山東別院に引き上げ、やがて救急車で病院に運ばれた3人も無事帰って来られた。極度の緊張と過労で一時的に気を失われたようである。

 夕方、朴SOさんの小学校4年生の担任であった富山在住の杉山先生が朴SOさんを訪ねて来られ、4年ぶりの再会となった。疲れ果てて気落ちしていた朴SOさんは、杉山先生と会えた喜びでたちまち元気を回復されていった。

 その夜、大和さんたち富山の支援のメンバーが企画された証言集会「失われた時代(とき)を返して ハルモニたちの身の上ばなし 」が開かれ、40名くらいの集いになった。富山での8年間にわたる不二越未払い賃金訴訟が昨年解決し、一度支援活動が収束して後の、第2次闘争の再開である。改めて支援体制を作り上げるのは大変なことと推察される。地元に幅広い、力強い支援態勢が再構築されることを祈るばかりである。

 翌日早朝、支援のメンバーに見送られながら富山を立ち、下関に向かった。富山の支援の方たちは、今回大勢を迎え入れ大変よくしていただいた。大和さんを始め支援のメンバーに深く感謝します。

 ハルモニたちは関釜連絡船で帰って行かれた。1週間に及ぶ船と電車での旅にさぞかしお疲れになったであろう。不二越の対応は悔しく、心身ともに傷つかれたと思われる。それにしてもすばらしい方々であった。手作りのキムチとおかずをリュック一杯にもって来、朝5時には起きて自炊しながらの旅をこなし、東京、富山で果敢な闘いを行い、しゃべり、歌いながらのバイタリティー溢れる何とも魅力的な老女たちであった。「未払い賃金を返せ」というつましい要求の中に、彼女たちが戦前・戦後の裏切りとその後の屈辱に満ちた人生を余儀なくされた中で奪われつづけた誇りを取りもどさんとする万感の思いが込められているように思われる。

 行動を共にして、私は今回も又ハルモニから多くのエネルギーと勇気を与えられた。加害国に住む市民としての誇りを回復する新たな闘いが始まった。

◆第2次闘争の意味

 昨年7月の不二越未払い賃金訴訟の最高裁和解は、強制労働そのものに対する補償という性格をもっていて、戦後補償全体の闘いの中で突出した地平を切り開いた。

 不二越訴訟以外に対企業の戦後補償裁判で新日鉄、日本鋼管、鹿島建設の3社が原告との和解に応じている。死者への慰霊費、強制労働時の民族差別に対する闘いの指導者への暴行に対する賠償、花岡鉱山中国人労働者の蜂起に対する弾圧への賠償等、それ自体、原告・弁護団・支援者による果敢な闘いで勝ち取った和解であるが、強制労働そのものへの補償とは性格を異にしている。国家賠償を求める訴訟でも、関釜裁判、今年に入って韓国人被爆者手帳裁判、劉連仁裁判、浮島丸裁判がそれぞれ一審判決で勝訴している。いずれも戦後の不法行為に関する賠償を命じた判決で、戦時下の被害や強制労働そのものへの賠償はいずれも却下されている。

 不二越は原告団や支援者の裁判闘争に加えて、果敢な門前闘争や株主総会での糾弾が、不二越城下町・富山での会社の評判が地盤沈下して行く恐れと、新たにアメリカでの訴訟の構えに追い詰められて和解に踏み切ったものと思われる。その和解が戦後補償の中で突出した地平に出ることを深く自覚していなかったのかも知れない。その後の推移でアメリカでの日本企業を相手取った訴訟が必ずしも企業側に不利に推移していないことが明らかになり、かつ戦後補償を訴えられている他の企業からの圧迫もあったものと推察され、不二越は今後一切の交渉には応じない頑なな態度に変じてきているようだ。今回の一連の行動で、会社側の対応は過剰反応に思えるほど固いものであった。交渉への扉は固く閉ざされているようだ。

 しかし不二越は決定的な弱点を抱え込んでしまった。東京本社でも富山本社でも被害者との交渉に応じない理由として「最高裁和解ですべて解決した」と繰り返すが、ハルモニたちの「わたしたちは何も解決していない。同じ被害者なのになぜ差別するのか。」と切り返されると返す言葉も無く沈黙してしまう。論理的、道徳的には極めて分かりやすく、不二越の言い分は破綻している。同じ被害者のうち7人に実質的補償をしてしまったのである。いかなる言辞をもってしてもこの事実は糊塗しようがない。この点を徹底的に追求して、世論を喚起すれば、第2次闘争をもってする最終的解決の扉もいずれ開かれよう。そのときは、同じ女子勤労艇身隊の名古屋三菱、静岡東京麻糸工場訴訟への影響のみならず、強制労働被害全体への解決に向かって巨大な風穴が開けられることになる。不二越第2次闘争は一企業の戦後補償に止まらない位置を占めている。

 ◆全国的な支援体制を作り上げよう。

  第2次闘争は始まった。名乗りをあげる不二越元女子勤労挺身隊員は今後とも増えていくであろう。多くのハルモニを富山に迎え入れ、より大規模な不二越闘争に取り組んでいくことになろう。さらに国内外に展開する不二越の営業所、工場、関連グループへの抗議行動を展開し、不二越を包囲する広範な世論を作り上げていかねばならない。

 ハルモニたちの闘いに応えられる支援態勢作りが急がれる。富山、福岡、広島での既存の支援態勢を強めて行くに止まらず、それをも包摂した全国的な支援態勢の構築が第2次闘争の帰趨を決すると思われる。9年間の物心両面にわたる支援を続けてこられた「関釜裁判を支援する会」員の皆さん、心苦しいですが今後とも引き続き支援をよろしくお願いします。そして戦後補償運動に携わるすべての皆様の協力を呼びかけます。