六・一〇「今、教科書が危ない」
緊急集会レポート
石井美登里
全国的には、愛媛・東京の一部養護学校等と六校の私立中学校に採択されただけで、扶桑社の「歴史教科書」は教育現場で子供たちの目に触れることはほぼなくなりました。「つくる会」はもう少し楽観的に考えていたようで、採択の結果が出た後での記者会見でショックを隠し切れない様子でした。しかし、三年後の小学校、四年後の中学校の教科書改訂に再度挑戦の意向も示しており、この問題は今回の結果で決着するのではなく、小泉総理の靖国神社公式参拝問題ともあいまって、国民の思想を統一しようとする誤った国粋主義者たちと、民主的勢力の、延々と続く、まさに息の長い「戦い」であるのだと実感しました。
遅くなりましたが、福岡で取り組んだ「今、教科書が危ない」緊急集会の内容をご紹介します。
六月一〇日(日)、午後二時、会場である九電ビル地下一階の会議室(二五〇席可能)はすでに満席状態。時期を得た集会であったためか、主催者(「今、教科書が危ない」緊急集会実行委員会)の心配をよそに始まる前から熱気の溢れた会場となりました。参加者も、学生から戦争体験者の年代まで幅が広く、また、飛び込みの一般参加も見られ、この問題に関しての関心の深さを感じることができました。
まず、戦争責任資料センター事務局長の上杉聡さんの講演。教科書検定時点で一体どういう攻防が中央段階でなされたのか、この問題の本質とは何か、今後どのような戦いが必要なのかを具体的に資料を説明しながらわかりやすくお話していただきました。(上杉さんの講演内容の概要は「関釜裁判を支援する会」ホームページに掲載していますのでご参照ください)。
上杉さんの講演の後、李容珠(イ・ヨンス)さん(元「慰安婦」、テグ在住)の戦中、戦後の苦しかった体験と今回の日本の教科書問題に対する怒りが切々と訴えられ、改めて胸が詰まる思いでいっぱいになりました。李容珠さんは、何とか日本の人々に自分たちの思いを伝えたいと、精力的に日本でお話をされているとのことで、のんびりかまえていたわが身を恥ずかしく思いました。
最後に梶村さんから福岡の状況、教科書採択の実態が語られ、これから私たちがしなければならないことの確認がなされました。会場から若い人から戦争体験者まで幅広く意見が出され、活発な討論となりました。
集会終了後、電気ビル(渡辺通り)から天神まで約二キロをプラカードを持ち、シュプレヒコールをし、歩きました。デモ参加も多く、また通りの人々も関心が深いようで、チラシ受け取りなどの反応もよく、心強くなりました。
今回、若い人たちの頑張りが特に目立ち、確実に次の世代へ続いていっていると確信ができると同時にほとんど何もしなかった自分を深く反省しています。