教育委員会への申し入れ行動顛末記
日原広志

六・一〇「いま、教科書があぶない!緊急集会」の熱気さめやらぬ翌一一日、二一名の実行委員が福岡市教育委員会・福岡県教育委員会・福岡教育事務所に対し「教科書採択に関する申し入れ」行動を行った(報告者は前二者のみ参加)。松岡代表が、事前に送っていた質問項目について回答を求め、随時質疑や意見を訴える方式で各一時間ほどの申し入れとなった。共通していたのは関係者の当事者意識の欠如、主体性のなさである。市教委の、「教育庁が教科書を選ぶわけではないので、ここに申し入れに来られても困る」は特にひどかった。二言目には「採択に公正を期すべく」を繰り返すばかりの教委側に、@実質執筆グループ・教科書会社と一体である「つくる会」が採択制度に関する請願運動を展開した事実、A扶桑社版のみが市販されている事実をぶつけ、「公正中立な採択過程をすでに不可能にしている「つくる会」=扶桑社の行動について、教委としてはどう考えているのか」と問うと、県教委などは「法に触れないから文部科学省も止めることはできなかったのだろう。私たちとしても対応の仕様がない」という答弁。

 県教委の答弁で特に注目されたのは、従来選考委員会の段階で行われていたニ〜三冊の事前絞り込みが、今年から「三冊以上を協議会に答申することが望ましい」と変更された点。明らかに「つくる会」側の請願後の改正であり、現場教師の意向を締め出し、規制を図っているとの疑念を拭いきれないのだが、県教委は「三冊目と四冊目が甲乙つけがたいようなケースがあるので、三冊以上としただけ。その理由は各教育委員会に口頭にて伝えている」との答え。つくる会請願との因果関係については「そう思うのなら、思うのはそっちの自由です」とうそぶく始末。

 ところが教科書絞り込みに関して、その次に訪れた福岡教育事務所では、学校教育課長も学事係長も、「三冊目と四冊目が甲乙つけがたいケース」云々の県教委からの口頭の説明など知らないとの回答。他の教科書採択ブロックの教育事務所や教育委員会の教科書採択責任者への電話取材でも誰一人そのような口頭指導は受けておらず、むしろ「教委の採択権限を強めるため絞り込みをするな」という趣旨の指導であると受け止めていることが判明。あらためて県教委へ質問状を出したところ、六月二二日になって、「一部に」趣旨の徹底が不十分な面があったようなので、再度指導を行ったと空々しい返答。しかし、遅まきながら「絞り込みをするなという趣旨ではない」との通達がなされたことは、申し入れ行動の成果であった。あらためて市民がチェックを入れていくことの大切さを確認した。

 

 同行した李容洙ハルモニは県教委で自身のつらい体験を訴え、最後にこう問うた。「慰安婦本人の証言を聞いて、それでもまだ『そんな歴史はない』と、あなたは言うのか」。この一言に戦後「補償」が国家間の「賠償」問題とは次元の違う、個別的・人格的な関係性の回復をもたらす戦いであることが凝縮されていた。「私個人がどう思うかということは関係ないことですから」と逃げる相手。向き合うことを頑なに拒み、県の自主性を言いつつ中央の顔色ばかりを窺う主体性のなさ。出会いを一切必要としない、関係が回復されずとも一向に差し支えないというその態度に、戦争犠牲者の顔は無論、中学生の顔さえ少しも見えていない「つくる会」教科書と同根の病理があり、「そんな歴史はない」と言っているのは、他ならぬあなたなのだ!と、ハルモニは撃っていた。組織の代表だの、立場上ここに座っているだけ、だのといった没我的な態度では、決して何も始まらないのが戦後補償。他の何者へも責任転嫁できない差し向かいの関係で出会うことを通してしか、戦後補償は始まらないことを、自らも撃たれ再確認させられた一瞬だった。

その後の全国の採択状況結果については各報道の通り。事前の反対運動の殆どなかった保守的地盤・栃木下都賀地区における採択撤回劇は、「つくる会」教科書を許さない全国的な民意の存在と、今や深刻な国際問題と化した教科書採択の影響の大きさを内外に知らしめる重要なターニングポイントとなった。「つくる会」教科書不採択が相次ぐ中、焦りをみせた東京都教委、愛媛県教委は自らが決定権を持つ養護学校へ採択するという露骨な政治的意図に根ざした暴挙に出たが、これも「つくる会」不採択の流れを都下・県下でさえ押しとどめることはできなかった。かえって、各社の教科書中、社会的弱者・周縁にある者たちの視点と人権への顧慮がもっとも(唯一?)欠落している問題教科書を政治的目論みから養護学校に押しつけるなりふり構わぬ強行採択に、「つくる会」側推進派勢力の「人権・いのち無視」の国家観・教育観があらためて露呈された。最終的に「つくる会」教科書は、公立では東京都と愛媛県の養護学校の一部だけと、私立六校に限定され、採択率は〇.〇三%と彼らの当初目標一〇%を大きく下回る結果となった。「つくる会」側の数年来の草の根ファシズム運動展開ともいうべき周到な準備と、その奏功としてのつい数ヶ月前までの圧倒的不利な現実を思い返すなら、この結果をもたらせたことは奇跡に近い大勝利とさえ思えてくる。立ち遅れの危機感から、土壇場で多くの市民運動が枠・垣根を超えて結集し、大きなうねりとなったことが「日本市民社会の良識を示し得た」一因であることは言を待たない。

 しかしそれ以上に今回重要だったのは、やはり隣国韓国の力である。地方自治体レベルでの交流が、中央の「つくる会」推進派勢力の想像を超えて根付いていたこと、そのあらゆるパイプを通して、韓国側の意思が親書・交流中止など様々な形で日本に自治体レベル・民間レベルで発信されたこと、このことこそが国内の市民運動の結集の力だけでは到底太刀打ち出来なかった巨大な流れを押しとどめ、一時的にでもひっくり返す民意を形成できた要因であろう。

 

そう、状況は最悪の事態を先延ばしに出来ただけであり、何一つ好転してはいない。いやはっきり前より悪くなったといえる。唯一「慰安婦」記述を残した日本書籍は「つくる会」の対極と目され、東京二三区中現行二一区で使用されていたのが、今回わずかニ区にまで激減した。自主規制した教科書が採択率を上げた。自虐史観キャンペーンが功を奏し、採択の基準は右よりに大きくシフトしたという点では痛み分け。加害の記述は更に後退を余儀なくされていくであろう。したがって、今後は@加害の記述の復活A検定(制度が当分残るとして)における近隣諸国条項の徹底B採択制度の民主化、が運動の目標となる。特に加害の記述については、国が持っている資料の公開を求め、事実を積み上げていくしかない。立法運動としての「真相究明法」の取り組みが戦後補償だけでなく教科書問題でも焦点となろう。