声明文 3月29日午後2時から開かれた関釜裁判広島控訴審判決で、川波裁判長は「一審 被告(国側)の本件控訴に基づき、原判決主文第一項を取り消す」として、一審下関 判決の「立法不作為」に基づく元「慰安婦」原告3人の一部勝訴を取り消した。さら に7人の女子勤労挺身隊原告らの請求もことごとく棄却した。1分にも満たない判決 主文の朗読と退廷であった。 取り残された原告たちは、弁護士の説明で全面敗訴を知らされ、「心臓が落ちた」 (朴頭理さん)ような衝撃に突き落とされた。裁判官なき法廷に、原告たちは無念の 怒りの声を絞り出した。「裁判長出てきて説明しなさい」「天皇陛下の為に一生懸命 働いたのに、どうしてですか」と叫び続ける原告、顔を歪ませ、歯を食いしばって無 言で耐える原告、やがて勤労挺身隊時代のPTSDを抱える原告が次々に倒れてい く。無念と怒りとそして申し訳なさに涙しながら原告たちを見守り続ける傍聴者た ち、やがて外に待機していた支援者たちが殺到し、原告を包み込んで抗議のシュプレ ヒコールが裁判所を揺るがした。 それにしても何とお粗末な判決文であることか。一審判決を貫いていた、被害の深 刻さと長きにわたる孤独に耐え続けてきた「慰安婦」原告への深い共感が見事に欠落 している。憲法の守り手として、苦悩と誇りに満ちた一審判決文の香りも完全に消え うせている。 85年最高裁判例をおうむ返しに踏襲し、「議会制民主主義の下では、国会議員の立 法行為は法的規制になじまない。例外は、だれが見ても憲法の文言に反している法律 を作るような容易に想定しがたい場合のみ」として形式的三権分立論に逃げ込み、実 質的には行政におもねる判決を下した。しかし、下関判決が記す、「多数決原理の議 会制民主主義が多数者による少数者への暴政をもたらした事への深い反省から日本国 憲法は基本的人権の尊重を根幹的価値とし、その実現のため裁判所に法令審査権を与 えた」として、戦前・戦後を貫く国会の民族差別を厳しく糾弾したことになにも応え ていない。卑劣にも沈黙したままである。判決文は「人権の砦」としての司法府がそ の中枢において自死を遂げ、小官僚主義が跋扈する惨憺たる現状であることを国内外 に示した。その裁判官をしてなお、国側の「日韓条約解決済み」論は採用することの できない程非常識なものであることを確認したに過ぎない。 4月12日、原告たちは最高裁に上告した。「死んでも裁判を続ける」と決意した 原告たちの意地に、8年余の歳月に仲間を失い敗訴を告げられてなお一層高まる怒り を感じる。 「下関判決の精神を生かし、その限界を乗り越える」ことを目標に3年 間の控訴審に取り組んできたわたしたちは、予想すらできなかった最低の判決に怒り と深い喪失感に捕らわれる。しかし、立法府に賠償立法を命じた下関判決は死んだの であろうか?「否」である。下関判決を真摯に受け止めた国会議員たちによって、 「国立国会図書館法の一部改正法案」(真相究明法案)と「戦時性的被害者問題解決 促進法案」が議員立法として上程されている。下関判決を生かすも殺すも、わたした ち支援者と国会議員の立法運動の成否にかかっている。わたしたちは今後、立法運動 に全力を投入する覚悟である。そして女子勤労挺身隊問題の解決の為に、企業闘争と 強制労働補償法案の作成も急がねばならない。原告たちが上告を決意し、わたしたち に和解の手を差し伸べ続けていることに何としても応えなければならない。
関釜裁判を支える広島連絡会 関釜裁判を支える福山連絡会 関釜裁判を支える県北連絡会戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会