それでも希望を託したい
〜二審判決を傍聴して
井上由美
高裁の敷地内の桜は七分咲きになっていたが、この日は寒の戻りで、四月を目前に冷え込んでいた。コートなしでは肌寒い気温だ。その桜の木の傍らで並んだ傍聴希望者は、二四五人にも上った。
何とか傍聴券を譲ってもらい、廷内に入るともう時計は午後二時を指す。裁判官たちが現れ、原告も傍聴者たちも、息を殺すようにして裁判長の口から言葉が発せられるのを待った。
そして機械的に、無機的に判決が読み上げられた。わたしは緊張しすぎて、うまく裁判長の声が頭の中に入っていかない。しかし「取り消し」「棄却」という文言は聞きとることができた。それらが何を意味するのか、とどめのようにわたしの中で響く。その間、判決言い渡しはわずか三○秒、「判決理由については省略」。他人事のように言い置いて、三人の裁判官はあっというまに退席した。
一瞬、沈黙に包まれる傍聴席。それを破るように事務局長の花房さんが、原告のそばに座る山本弁護士に「山本さん、どういうこと?」と呼びかけると即座に、山本弁護士は手でバツ印を作った。認めたくない事実を、目前で見せられたことの無力感。すぐには判決内容がわからなかった原告たちも、「棄却」の意味を通訳の姜蓮淑さんが翻訳して説明すると、それは激しい怒りに変わった。
「裁判長、出て来なさい、どういうことか説明しなさい! わたしは天皇陛下のためといわれて働いて、こんな体になったんです!」梁錦徳さんは声を震わせ、原告席の机を叩いて抗議した。「あなたたちの子供がわたしのような目にあったら、どういう気持ちですか!」。涙と怒りで叫ぶ梁さんの声が法廷内に響く。朴SOさんも同様に泣きながら抗議をはじめた。朴SUさんや柳Tさんはあまりの落胆からだろう、机の上に崩れ落ちるように顔を伏せてしまっていた。だが、正面の扉は堅く閉じられたまま、もちろん裁判官たちが出てくることはない。怒りのぶつける場所を奪われたまま、原告たちは口々にあまりに無情な審判に怒り、最初日本語だったのが、早口の韓国語に変わり、梁さんは法廷の床で足をバタつかせて悔しさをあらわにした。
「こんなに法廷の中で混乱を起こすのは初めてですよ、ただちに退廷して下さい!」裁判所職員の容赦ない言葉に、支援者たちが抗議し、法廷内は騒然となった。
李博盛弁護士は泣いて悔しがる梁さんのそばに行き、なんとか落ち着かせようとしている。傍聴席の女性たちの多くが、原告たちの姿を目の当たりにしてもらい泣きをする嗚咽が聞こえる。広島の支援者が原告たちに贈り、法廷内にも持参した花束の美しさがいっそう無念に見えた。わたしは何もできないまま傍聴席に張り付いたように座っていた。
あの一部勝訴の「画期的判決」をもたらした一審判決からの三年、原告たちに幾度も、もう思い出したくないであろうことを法廷でしゃべってもらい、日韓を往復させたこと、署名を集め、せっかくの下関での判決を戦後補償裁判のさきがけにしようと呼びかけたこと、それらの努力は、わずか三○秒の言い渡しの前に振り出しに戻ってしまった。わたしは腹が立つよりも、正義を求めたはずの裁判で、かえって原告たちの絶望と不信を深めてしまったことに、申し訳なさでいっぱいだった。「退廷しなさい」と言われなくてももうここから逃げ出したい気持ちにかられた。
でも彼女たちの張り裂ける思いをちゃんと受け止める責任がわれわれにはあるのだ。梁さんが叫ぶ韓国語はわたしの語学力では聞き取れなかったが、繰り返し「ナワッ、ナワッ!」という言葉が発せられるのが、ようやく「出てきなさい!」という意味であることに思い至った。きちんと納得のいく説明をするよう、出てきなさい、と彼女は裁判長に怒鳴っていたのだ。
改めて司法の壁の高さを痛感した。山本弁護士が報告集会ではからずも言った「司法には何の解決能力もないことがわかった判決です」との言葉どおり。原告たちはいずれも高齢である。時間はいくらも残っていない。彼女たちの提訴からの八年が、より悲しみを増幅させる年月であってはならない。
裁判所の外は心の中まで寒々とするような花冷えだった。いつか原告たちがにこやかに判決を喜び合う、暖かな日が来ることを心の底から願いたい。