やっと始まった関釜裁判
報告1 第一回口頭弁論
9月6日(月)午後一時半
山口地方裁判所下関支部第三号法廷
判事中渡衛裁判長と陪席2名
原告 河順女(ハ スンニョ)
朴頭理(パク トゥリ)
柳T
朴SO
原告補佐人 金文淑・朴ヘレナ
原告代理人 山崎吉男・李博盛・山本晴太
被告代理人 法務省2名、外務省1名
広島高検訟務検事6名
傍聴人 45名、報道関係者10数名
補佐人申請
原告代理人は以前から裁判所に対して原告に補佐人をつけるよう申請し、書記官と協議してきたが、話がかみ合わないまま口頭弁論を迎えた。今回も再度裁判長に補佐人を認めるよう申請した。申請の理由は@本人高齢A日本語を解さないB体が悪いC裁判が初めてである。これに対して裁判長は@原告席で逐一通訳すれば裁判進行の妨げにならないかとの危惧を示しA本人尋問では裁判所が用意する通訳を配置するので必要ないとして補佐人申請を認めなかったが、「事実上」ということで「補佐人」容認した。
訴状陳述(当会パンフ「あやまれそしてつぐなえ」参照)
答弁書陳述(2ページ参照)
被告の答弁書に対する裁判長の質問
「答弁書で抜けている部分は準備書面として提出されますね。訴状に関する求釈明もあろうかと思いますので、早急に求釈明、準備書面を提出してください。」
被告代理人の回答
「認否すべき事が多岐にわたっているので時間をいただきたい。」
原告意見陳述
これまで歩んできた苦しい半生や裁判に寄せる期待を1人5分位訴えた。(3ページ参照)また、陳述書を書面で提出。
4人の陳述が終わって突然朴頭理さんが大きな声で慰安婦時代のことを語り始めた。裁判長は本人尋問の時に聞くと言ったが、尚語り続けるというハプニングがあった。
原告代理人の意見陳述(李博盛)
この裁判の意味と問題を指摘した格調高いもので感動的だった。(6ページ参照)
第二回口頭弁論の期日
12月13日(月)午後1時30分
被告はできるだけ遅らせたがった。
第一回口頭弁論は本来4月19日にあるはずであった。国の東京地裁への移送申立によって4ヶ月も遅れての「関釜裁判」の始まりとなったことを遺憾に思う。傍聴人として裁判に臨んで、下関で裁判が行われた現実に感慨深いものがあった。国に移送申立を取り下げさせた弁護士の上申書と9000余人が協力してくれた署名に再び喜びと感謝を覚えたものだった。
地方で行われる戦後責任、補償を求める裁判への関心は高く、45人の傍聴席を求めて、遠くは広島、長崎から100人以上が下関支部に結集した。裁判所の整理券の配布・抽選に加えて、傍聴者交替禁止、横断幕の敷地内禁止という裁判所の権威の横行に憤懣やる方ない。
意見陳述が終わった後にさらに語りだした朴頭理さんに感動を覚えた。彼女にとっては、裁判所の権威やら秩序を超えて、提訴以来9ヶ月も待たされ、わざわざ海を渡って来たのにわずか5分しか語らせてくれない裁判の現実への抵抗だったに違いない。<裁判官や被告代理人が日帝時代の日本人にみえて首を締めてやりたかった>感情がそうさせたのだった。いままで沈黙してきた「慰安婦にさせられた自分の過去」を法廷で陳述することによって、否定された人間性を回復し、人としての尊厳を取り戻そうとしているハルモニを応援していきたいと思わせられる出来事であった。
報告2 記者会見
下関バプテスト協会で原告、補佐人、弁護士が行った。追加提訴の可能性に言及。
報告3 報告集会
記者会見の後、協会で、約80人の参加でもたれた。弁護士の法廷報告。福岡、北九州、下関、広島、長崎からの挨拶。その後、会場から「法廷で声が聞き取りにくかった マイクを用意してほしい」「生まれて40年余り、慰安婦のことを知らずに過ごしてきた。勇気をもって真実を伝えてくれた韓国のおばあさんたちに感謝したい」などの発言もあった。
松岡澄子