韓国ツアーものがたり
出会いを心の財産として 関釜裁判韓国交流会の参加して

井浦真須己

参加するにあたっての思い

 私は昨年の4月に教育委員会の同和教育係に異動し、同和問題をはじめとするさまざまな差別を学習し、差別をなくすために努力する人間になりたいと取り組んできました。
 その中で、従軍慰安婦問題についても昨年の1123日に鈴木裕子さんの「強制従軍慰安婦問題と日本の女性の責任」に参加させていただき、また1211日に筑紫教育会館で行われた「証言を聞くつどい」にも出席し認識を深めてきました。と同時に、日本と韓国の交流の歴史を学び、安重根1人を見ても判るように、学校教育で学んできたことが、以下に誤ったものであったか、いかに事実とかけはなれたものであったかを痛感していました。
 事実は事実として認め、謝罪し賠償することが今後の教育を受けていく子供たちを正しい日本と韓国の交流へと向かわせる道だとの思いが強くなっていました。
 もう一つの思いとして、同和教育や同和問題を市民に啓発する職員として本を読んだり講演を聞いたりするだけでは市民に訴える時、どうしても実感が伝わらないのではないか。自分の足で現地を歩き、目で見てきてこそ、本当の意味での説得力につながるとの思いがありました。ちょうどその時、タイミングよく今回のツアーの案内をもらい、ハルモニたちの言葉や思いにじかに触れさせていただき、今後自分がしなければならないことは何かということが少しでも見えてくればと思い、参加させていただくことにしました。

釜山にて

 釜山での交流会で驚いたのは、その盛大さでした。総勢20名にもなる原告やそれを支える方の歓迎に、事の重大さと自分たちへの期待の大きさを感じずにはいられませんでした。
 会の中では、釜山の後援会員と私たちが交互に座り、交流を深めることができました。ほとんどの方が日本語を話されたので、隣に座られた方の生き方やこの裁判に対する思いを聞き、心の支えとなりました。また、56名の方に歌を披露していただきましたが、みなさんの日本語の歌に当時の日本の同化政策をかいま見ることができ、これも「立派な歴史の証言」だと思い、心が熱くなり、複雑な気持ちになってきました。
 最初に会場に入った時、私のしょうゆ顔ならぬエスニック顔を見て、「今日は日本人だけではないのか?」と言われ、一番に顔を覚えてくれたのがとても嬉しく、変なところで親に感謝しました。
 13日は、金文淑さんの家に泊まらせていただいたのですが、そこでの金さんの話はこの従軍慰安婦問題に韓国で携わることの難しさや会を運営することの苦労についてであったが、その話とハルモニたちの思いが重なり、この関釜裁判を成功させなければならないと再認識させられました。

天安にて

 814日早朝より金さんやヘレナさんの手料理による韓国式朝食で満腹になり金さんの家を後にし、汽車で天安へと出発しました。
 汽車の中では韓国の方たちと直に接触することができ、窓の外の風景とあいまって、韓国に溶け込んだ気持ちになりました。
 天安から民族独立記念館へ行き、広大な敷地に10越える展示館。その規模に圧倒され、中に入って資料の多さに驚かされました。
 各時代の詳細にわたる資料、特に日帝時代の民族の抵抗の足跡は実に見事という他ありませんでした。文字自体はハングルと英語で書かれてあったため一部の資料しか判らない私でさえも韓国の民族自立の思いや抗日の息吹が伝わってきました。
 韓国の人々がこの独立記念館を見て、日本に対してどのような感情を持つのだろうか?また、ここに来る子どもたちや青年たちは私たち日本に対してどう思っているのだろうか?などさまざまな思いが頭をよぎりました。
 そのことを思うとやはり、誠意ある謝罪と賠償をしない日本の国の国民としては大変肩身の狭い、顔の上げられない思いを独立記念館では感じずにはいられませんでした。

ソウルにて

 14日夕方から、高速バスでソウル入りをする。私にとっては6ヶ月ぶりのソウルであるが、今回ははっきりとした目的があり、釜山や天安での見聞があるため、前回とは全く違った気持ちでソウルの街に立つことができたように思う。
 そのため、ソウルが私を包んでくれているように思え、言葉が通じなくとも街行く人たちが私に微笑みかけていく気がしていた。
 15日に「分かちあいの家」というソウル市郊外にある、元「従軍慰安婦」の方が共同生活をしているところを訪問できることになり、一行で訪ねさせていただいた。そこで、私たちの活動や今回の訪問の目的を松岡さん(編注・支援する会代表)が説明し、理解していただいた後、各ハルモニの話や世話をしている仏教の僧の方から「従軍慰安婦」問題の韓国における歴史や現状を説明していただいた。通訳をされた、松井さんは大変だったと思いますが、ハルモニの思いが直に伝わり、緊張もあいまって、私には一生忘れることのできない一時になった。さらに、仏教の僧の方から「ハルモニたちは毎週水曜日の日本大使館へのデモを通してりっぱな運動家になっている。」と聞かされた時、それだけ深い思いがあるのだと改めて気付かされました。
 余談ですが、私が裸足だったので気を使ってもらって、靴下(売上の一部を従軍慰安婦問題の運動資金にする)を斡旋していただき、感激のあまり5足買わせていただきました。また、昼食時行ったため、このままでは帰しては悪いとのハルモニの思いから食事をご馳走になりました。被差別の立場にたたされた方の相手を思いやる気持ちは、本当に熱いものがあると改めて感じました。
 お別れする時、握手してもらった手やその時の言葉や一人ひとりの目の輝きは私の心の中の財産として今後も大事にそして有効に活用させていただこうと思っています。
 「分かちあいの家」を失礼させていただいた後、2班に分かれ市内探訪を行いました。私のグループは、独立門での光復節の集会を見に行きました。そこでは、3〜4グループが集会を開き様々な訴えをし、歌をうたい、いろいろな思いを述べている様子がうかがえました。言葉が判らなくとも子どもからお年寄りまで、人々の熱気は伝わってきました。
 その後、夕食をするつもりで明洞(ソウルで一番の繁華街)に行きましたが、そこでは私たちに日本語で「いい女の子がいるよ」と話しかけてくる人が3人もいたのには驚きました。いかに、日本の男性が韓国に行って、女性を物として扱ってきたか思いしらされましたし、今後もそのようなことが続くかと思うと、また、下を向いて歩くことしかできなくなってしまいました。

そして、今から

 以上、今回のツアーの経過とそれに対する私の思いを述べさせていただきましたが、全体をとおして思ったことは、関釜裁判を提訴した原告ハルモニたちの思いに応えるために私たちができることは全力でやっていかなければならないと確認し、日本の政府に謝罪と賠償をさせるためには、裁判だけでなく、自分の家族をはじめ身の回りの人に真実を伝え、その輪をできるだけ広めることが私の使命だと感じています。
 今後もこの定例学習会や裁判にも積極的に参加し、「従軍慰安婦」問題をはじめさまざまな差別や矛盾を無くしていくよう努力していく人になりたいと思います。
 最後になりましたが、松岡さんをはじめツアーに参加された方へ大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。