真相究明は始まったばかり
戦後補償検討機関の設置を

花房俊雄

政府は第二次調査結果を報告したが・・・

7月末から8月末にかけて「従軍慰安婦」戦後補償をめぐって大きな展開が見られた。726日から30日にかけて、日本政府が韓国で元「従軍慰安婦」(太平洋戦争犠牲者遺族会に所属する)16人から聞き取り調査。84日、政府第二次調査報告。810日、細川首相記者会見で、「侵略戦争で間違った戦争であった」と表明。23日、所信表明で「侵略戦争」から「侵略行為」に後退発言。825日、国会での首相答弁で「戦後処理は決着済み。見直しは考えていない」と発言。同日、国連人権小委員会は旧日本軍の「従軍慰安婦」・強制労働問題などの人権侵害を調査する特別報告官を任命、2年後に最終報告書を提出し、日本に勧告することになる。

第二次調査報告の問題点

日本政府が韓国政府に第二次調査報告をしたのは、自民党政権幕切れの前日だった。課題の強制連行に関しては「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者がこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また慰安所における生活は、強制的な状況下での痛ましいものであった」と発表した。これを受けて同日、韓国外務省は、「従軍慰安婦」の総数と当時の日本政府の役割について今後とも検討を要請し、「今後この問題を韓日間の外交課題としない」とした。あわせて元「従軍慰安婦」達の生活は韓国政府でみる。日本に物的補償は求めないことを強調したのである。かくして日韓両政府の間で政治決着がついた。

今回の調査報告の問題点は真相究明があまりにも不十分である事だ。中央大学の吉見義明教授は防衛庁関係の公開されている資料の中でも政府発表の資料はほんの一部にすぎないことを指摘している。強制連行の資料に関係ある警察庁にいたっては、東京の「従軍慰安婦」裁判を支援するメンバーが外政審議室の役人に問い質したところ、「警察庁から資料がないといってきているので調べようがない」という始末である。いかにおざなりな調査であったかがうかがわれる。

行き届いた補償を

第二次調査報告をもって、外交上の決着が一応ついたことにより、補償の問題が現実的課題になってきた。今秋から実施される韓国政府の元「慰安婦」たちへの生活支援は500万ウォン(78万円)の一時金と月々15万ウォン(約2万円)の年金及び医療費である。

関釜裁判の原告、朴頭理さんはいまソウルのナヌメチップ(分かちあいの家)で生活している。今回の裁判でお会いしたとき、「早く釜山に帰りたい。生きているうちに帰りたい」と望郷の念をつのらせていた。1DKのアパートを借りるのに2千万ウォンかかる(韓国では借りるとき保証金をドサッと支払い、後は月々の家賃は払わなくてよい「チョンセ」方式が主流。500万ウォンではアパートも借りられない。)せめて彼女たちが安心して余生を送れるよう、行き届いた補償が必要である。緊急に・・・

国会に戦後補償委員会の設置を!

813日から4日間の韓国ツアーの際、釜山でも、ソウルでも「細川政権は戦後補償をどう考えているのか」という質問をしばしば受けた。自民党に代わる細川政権への韓国の人たちの期待が痛いほど感じられた。

814日付毎日新聞には、細川政権が戦後補償処理問題に関連して、戦後補償処理特別委員会の設置と一兆円の基金構想、謝罪の国会決議を検討中と報道された。日本の戦争関係者への、戦後補償35兆円余に比して1兆円とは余りにもお粗末の認識ではあるが、少しは事態が好転するのでは・・・と期待を抱かせる報道であった。

だが細川発言に対して日本の遺族会の人たちから抗議が殺到し、賠償問題の再燃を懸念する外務省の圧力、おりから1ドル100円という経済不況の深刻さを前に、細川首相の発言は後退を重ね、記述の通り、825日「わが国の戦後処理問題はサンフランシスコ平和条約関連条約に従い誠実に処理してきている。このような法的立場について見直しを行うことは考えていない」と表明するに至った。韓国をはじめアジアの人たちはさぞかし深い失望と強い怒りを覚えたことであろう。(日本以上に多大な戦争犠牲を強いてきたアジア各国全部合わせても1兆円に満たない賠償額でもって「誠実に」処理してきたのである。)

日本政府は「従軍慰安婦」問題の外交的決着と、補償に代わる何らかの措置をもってあわよくば戦後補償問題の幕引きを考えているようだ。だがアジア各地から、遠くはヨーロッパから、日本の植民地支配と侵略戦争に伴う犠牲者の声は日増しに高まっていくばかりである。政府の安易な幕引きを許さず、日本の戦後補償のゆがみを再検討する、戦後補償検討委員会を国会に設置することの実現が問われている。