第一回口頭弁論 下関で9月6日
国が「東京地裁への移送申立」を取り下げ!
突然の国の移送申立
昨年の12月25日、山口地裁下関支部に提訴した<関釜裁判>ですが、「下関支部で受理されるか?」との一抹の不安はありました。2月9日下関の裁判所に訴えを提起した理由を弁護士が上申書として提起した後の3月、下関支部が受理し、第一回口頭弁論が4月19日との決定に私達は喜びました。
原告達を迎えて支援する会の結成集会の準備を進めてきた4月6日、突然国が東京地裁への移送申立をしてきました。政府は口では謝罪をしておきながら、「文句があるなら東京に出て来い」という移送は本音と建前の矛盾の露呈であると思います。原告たちが楽しみに待っていた第一回口頭弁論は流れてしまった訳です。
署名活動が第一の活動に
4月17日、原告を迎えての結成集会では移送申立という国の暴挙に抗議するとともに(抗議文採択、送付)下関の裁判所で行われることを要請する署名の取り組みを決意しました。時間的な制約もあって、大きな組織は使わずに、戦後補償に取り組んでいる弁護士や指紋押捺反対のグループ、キリスト教会等全国に約千通依頼し、会員や結成集会参加者が芋づる式に署名を集めました。
署名を下関支部に提出
5月19日、国の移送申立書に対する弁護士の上申書(資料参照)の疎明資料として9082名の署名を下関支部に提出し(その後追加送付は289名)、記者会見をしました。その記事がTVや新聞で報道され、下関の裁判所の判断を待つことになりました。
国が東京移送を取り下げ
6月3日朝、弁護士のところに「国が移送申立を取り下げた」という朗報がとびこみました。ヤッターッ!
上陸地で経過地である下関を、不法行為地(被告は国を代表する官庁の所在地が不法行為地と主張)と認めるか否か法的な解釈の点で楽観視できなかっただけに<移送申立の取り下げ>は嬉しい限りでした。「裁判が東京になったら私達は行けない」と悲痛な思いで帰っていったハルモニ達の安堵の顔が浮かんできました。
原告の状況(経済的・健康的・地理的側面)を無視した国の権威を笠に着た横暴への抗議、「慰安婦」問題への関心の高まり、日本政府の戦後補償、真相究明に対する不誠意への怒りが国の態度を変えさせたのだと思っています。
下関で裁判が行われることで名実ともに<関釜裁判>となったわけで、これを機に責任の重さを認識し、原告の思いを共有しながら、真相究明を実現し、誠意ある対応をさせていかねばと考えています。
松岡澄子