報告
強制連行110番
6月18日から3日間行った。残念ながら、強制連行に関与した日本側当事者からの電話はなかった。電話は5件。
[1]女性、朝鮮からの引揚者。
日本人もひどい目にあっている。日本人のプライドはどうなるのか。
[2]75歳男性。
自分は利用しなかったが、慰安所はあった。河北省、フィリピン、台湾等。
[3]男性。
強制連行されてひどい目にあった知人がいる。
[4]65歳男性、満蒙開拓団。
韓国側が大きな心で許そうとするなら、日本人は恩義を感じるはず。
[5]74歳男性。ビルマ北部戦線、雲南省。慰安婦は多くいた。強制ではなく合意の上での売春だ。悪い事をしたのは日本の軍隊だけではない。
あえて評価はひかえる。(山本)
会員の声
生きていく上で大切なもの
山方隆
49年ぶり・・・朴SOさんと杉山とみ先生の再会。4・17結成集会。3日後、ハルモニ達は、いろんな思いをいだいて帰って行きました。空港で別れ際、朴SOさんと杉山先生が手を取り合っている姿は、今でも私の心に焼きついています。
ハルモニ達を見送った後、金文淑さんと杉山先生を久留米駅まで送る車中での事です。三輪中学校の矢野先生と会い、車の中でハルモニ達の話などをしていました。とつぜん、蜜蜂が車内に入ってきて、杉山先生の指先を刺して飛んで行きました。矢野先生がすぐ校内にもどりアロエを取ってきて、杉山先生に渡されました。しばらくの間痛そうでしたが・・・(今の蜜蜂は、私を刺してもう死んだのでは・・・)と、しきりに蜜蜂の心配をしているのです。
こんな時、私だったら、蜂の心配までする心の余裕も無いし、やさしさもありません。とても感動しました。自分もそんな人間になれたらいいなあと思った程です。
2週間後、杉山先生から、一通の手紙。文面の最後にこう書いてありました。「中学校でお目にかかった先生にどうぞよろしく、アロエがよく効いて、指はなおりました。蜜蜂の命がやはり気にかかりますが・・・」
私は、再び感動して・・・。なんだか、自分が、やさしい気持ちになれたような気がしました。
今、私は原告、ハルモニ達から、いろんな人々との出逢いや、生きてゆく上での大切なものを、いっぱいもらっています。これから先、ハルモニ達にどうやってそれを返してゆこうかと楽しみにしているところです。
本当にありがとう。ハルモニ。また逢える日まで、お元気で・・・。
このおばあさんたちとともに真実を認めさせたい。
長屋由美子(愛知県 22才)
こんにちは!
先日は資料を送っていただき本当にありがとうございました。私の住む豊川も海軍工廠があった場所で、8月7日にたくさんの人が亡くなっています。
小学4年の時に初めて戦争映画を見ました。「はだしのゲン」というマンガでした。ショックでした。考えさせられました。それから戦争のことを知りたいと思い、自分なりに調べています。まわりには「あんた若いのに変」という人もいました。だけど若いからこそ、また自分たちより若い者に伝えていかなければならないと、私はいつも思うんです。
今、すべきことはたくさんあります。
「従軍慰安婦」のこともそうです。私には社会科の勉強の時に習ったという記憶があまりないのです。この言葉を聞くようになったのは2年ほど前からでした。そして、それに対して日本が何も償っていないことを知り、怒りをおぼえました。
何故、日本が昔確かにしたひどいことを認めようとしないのか。弱い者がいつも泣く、それが普通のようになっている日本、真実でないことが平気でまかり通ってしまう日本、うそを平気で言う政府が私は大キライです。
だからTVで関釜裁判のことを見て、力になりたいと思ったんです。このおばあさんたちとともに真実を認めさせたい。
私はまだ知ってからそんなに長くないのでくわしいことは分かりませんし、何をすれば良いかわからないことも多いと思います。でも支援する会の方たちと共にいろんなことを知り、学びたいと思います。そして今自分に何ができるか分かると思うんです。
福岡と愛知では遠いですが、でも、思う気持ちが大切だと信じてます。遠いからたしかにできることが限られてしまうかもしれませんが、支援する会の人たちといっしょにいろいろがんばっていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。少しずつできることを確実にしていこうと考えています。
(山口放送制作「恨みの海峡」を見て入会した方です。・・・編注)
「野芥子通信」休刊のお知らせ
「従軍慰安婦」問題を考える会は、考える段階から、実践的に解決して行く為に、戦後責任を問う関釜裁判を支援する会に合流して取り組むことになりました。
「野芥子通信」の内容は、この「関釜裁判ニュース」に反映していきたいと思っていますので、ご愛読ください。何卒裁判支援をお願いします。
花房恵美子