8.14ソウルの日本大使館抗議集会に参加して
井浦真須己
「何故、被害を受けてきた私たちがこの暑い中で抗議し、あなたたちが涼しいところにいなければならないのか?」
この言葉は、戦後51年目の8月15日を次の被害者に控えた14日、ソウルの日本大使館前の抗議集会のクライマックスで、あるハルモニが気持ちを抑えきれずに、大使館前を守っている二〇数名の軍人に取り囲まれながら言った言葉でした。その言葉を聞いた時(もちろん、通訳を通して)、何か背筋が凍るような、また、当たり前の言葉ではあるけれども今の「従軍慰安婦」問題を言い表している一言でした。本当にこの水曜抗議集会に参加することができてよかったとあらためて感じることができました。
今回、私の所属する太宰府市「同和」教育研究協議会の中の一部会であり、市民のみなさんで構成している社会「同和」教育研究部から5名で、水曜抗議集会に参加してきました。これまでに至る経緯は、太宰府市で韓国の劇団「ノリペハントゥレ」の『声なき挽歌』を上演してから学習をはじめ、今年の4月に映画『ナノムの家』を見にいったりしてきました。しかし、「国民基金」が、当事者や支援団体の声を無視して支給開始されるという状況を見聞きする中で、「私たちにできることは、直にハルモニたちの思いや支援団体の怒りを感じとり、それを多くの人に伝えていくこと」ではないかと考えました。
午後11時三〇分、日本大使館前に一番乗りで到着し、通訳の朴海淑さんと合流しました。その後、いろいろな支援団体が到着し、いよいよ朴頭理ハルモニが大使館前に着きました。さっそく関釜裁判から来た旨を告げると本当にやさしい眼差しで私たちを迎えてくれました。
いよいよ12時、抗議集会の始まりです。私たち5人は、胸の高鳴るのを抑え、200名を越えんばかりに集まった集会のほぼ中央に位置して状況を見つめていました。女性団体の代表の方の司会で、まずはじめに参加団体の紹介があり、関釜裁判の紹介の時に、私たちが「イェーイ」と声を上げると「よく来たな」と言わんばかりの拍手をしていただき、自分たちも認められているとの思いを強く感じました。
その後、各支援団体から抗議があっている間に朴頭理さんとゆっくり話をする時間が持てました。体の調子を聞くと「あちこち痛みがある。でもこの集会は頑張って出てきています。」との答えでした。また、「食欲はありますか?」と聞くと「あまり食欲はない。一回に食べる量が少ない。しかし、今日の昼食会場の食べ物は口に合うので、少しは食べることができる。」とおっしゃっていました。最後に「特に困っていることはありますか?」と聞くと「体の調子が良くないので、薬を飲んでいるが、薬代がかかってしょうがない」との答えでした。
改めて、ハルモニの今おかれている状況の厳しさに触れた思いがしました。しかし、それでもこの集会には出てこなければならないとの思いやこの集会へかける決意は、是非多くの人に伝えていかなければならないと痛感しました。朴頭理ハルモニとの話が終わった直後、冒頭の光景が目に飛び込んできたのです。
私たちにとっては初めての抗議集会の参加でしたが、ハルモニたちや支援団体の人たちにとっては228回目の抗議集会だったのです。この日のように暑い日だけでなく、あの厳寒のソウルの冬にも、雨の日も休みなく続いてきているのです。だれがそれを続けさせているのか。そう考える時、まだまだ私自身も続けさせている側にいたのではなかったのかと自分のこの問題に対する認識を新たにしたような気がしています。