ソウルに朴頭理さんを訪ねて
入江清弘

 ソウル市にお住まいの朴頭理さんを訪問するため、山崎弁護士、山本弁護士、李弁護士から同行を求められ、七月二二日(土)鐘路区恵化洞のナヌメチップ(分かちあいの家)を訪ねた。
 朴頭理さんは、第一回口頭弁論(93年9月6日)で、河順女さん、朴SOさん、柳Tさんを、それぞれ原告意見陳述をされた。(ニュース第3号参照)彼女は他の原告たちと離れてソウルに在住されていることもあって、その後連絡がてれにくく、そろそろ本人尋問の準備も必要なので、直接本人に会って、裁判を継続する意思を確かめようということになった訳である。
 一昨年の八月に朴頭理さんを訪ねた際、ナヌメチップは、高級住宅街にあったが、今は簡素な一般住宅街に移転していた。私たちが門の中に足を踏みいれるなり、歓声をあげて朴頭理さんが迎えでてくださった。顔色も良く、元気そうで、なによりだった。居住者は、元「軍慰安婦」の五人のハルモニたちと彼女たちをお世話されているスニム(僧侶)と、以前と同じ顔ぶれだった。スニムの配慮で、彼の部屋をあけてくださり、朴頭理さんをスニムと訪問団で話し合った。
 まず、山崎弁護士が「朴頭理さんは下関の裁判に一度出て、意見陳述をされたが、裁判は今も続いている。最近、朴さんと連絡がとりにくくなっているのでやってきました。」と来意を述べ、話合いが始まった。
 朴頭理さんは「以前は娘と暮らしていたが、一緒に住めなくなって、スニムに勧められて92年10月頃からここに住むようになった・・・その後、入院したこともあり、体も弱り、息も切れて、裁判に行くのも億劫で・・・」と言いながらも、「今のソウルでの生活はいやだ。ここで、2年近く暮らしているが、初めの一年はとても大変だった。他のハルモニとの関係も、からだの具合も悪かったし、精神的に異常になったこともあった。・・・唯一、希望することは、日本政府から補償をもらって、自分で住む家を借りて、衣食住に満足した生活をして死にたい。」と洩らされた。
 話題が日本政府の「民間基金」に及ぶと、スニムは「それは日本政府がハルモニたちに謝罪することにならない」と反対意見を述べ、頭理さんは「日本政府から韓国政府を通してもらうお金はいやだ。日本政府が謝罪して直接補償金を手渡して欲しい」を言われた。
 頭理さんに原告団に残って裁判を続ける意思があることを確認して、弁護士団は、「8月21日(月)の口頭弁論で頭理さんの本人尋問を要請するので、早ければ10月23日(月)に決まるでしょう。或は12月頃になるかも知れません。そうなれば、その準備のために、もう一度ソウルに来ましょう。」と約束された。
 そのあと、ナヌメチップの皆さんに西瓜を御馳走になり、また名古屋の画展に出品されたという「軍慰安婦」をテーマにした絵を見せていただき、最後にみんなで記念写真をとって、別れを告げた。