Topページに戻る 

韓国からのお便り
(Last Update 2001.4.11)

「ナヌムの家」ボランティアスタッフ・朴博子さんからのお便りです(2001年4月8日)。
 今晩は。お元気ですか?

 判決の内容、聞きました。何も 言葉になりません。

 今日、ナヌムの家に行って来ました。
 朴頭理ハルモニは とても 元気でした。
 よもぎの葉を取ったり、部屋のそうじをしたり、食事の後かたづけを手伝ったり、気が張ってる感じでした。判決の結果がどうあれ ハルモニは 日本へ行って来ると 必ず 元気を蓄えて来るようです。皆さんの誠意が ハルモニのエネルギーになるようで、私が 何を聞かなくても いつものように「みんなが 良くしてくれた。食べる事から、寝る事から、何から何まで 全部 ほんとに よくしてくれる。」と 話
されました。
 そして、判決については、もう賠償については諦めた。韓国政府からの補償で やっていくしかない。後 一回だけ 裁判をするそうだ。みんなが 一生懸命やってくれているから、最後に もう一回やるんだ。・・・・というような事を いっておられました。
 私の聞き取りが 不十分なので 多少 間違いが あるかもしれませんが。

 他のハルモニたちは どうしていらしゃるでしょうか。
 また 岡村さんといっしょに 朴・Soハルモニにも 会いにいきます。

 みなさんも どっと疲れが 出たんじゃないですか?
 お体 ご自愛ください。

ソウルで署名に取り組んでおられる、福山連絡会の岡村道子さんからのお便りです。
日韓共同署名に取り組んでーソウルより 

 韓国では光州遺族会が窓口となっています。ナヌムの家、挺対協は12月の戦犯法廷で忙しいためにソウルの出版社キプンチャユの姜済淑(カン・ジェスク)さんが「平和市民連帯」という市民団体を立ち上げここが中心となって署名活動を展開しています。
 中心メンバーはカン・ジェスクさん、イ・ビョンヒさん、岡村道子、金恵美子さん、「大邱挺身隊ハルモニと共にする市民会」のイ・リョンギンさん、前田さん(松代の元慰安所を歴史館として残す運動に携わっておられる方)、コ・キムさん、ヤンさん、カンさん、庄子さん(外国人労働者組合)、小田切さん(日韓ユースフォーラム共同代表)たちです。11日の土曜日には浄土会(仏教団体)もいっしょに行いました。毎週土曜日は明洞、日曜日には仁寺洞で行っています。
 日本人は慨してあまり熱心に署名してくれません。私は韓国語が十分に話せないので教わったばかりの「ソミョン、プッタカムニダ(署名してください。)」と言い、ときに「日本から来ました。」「今、韓国語を勉強しています。」と韓国語の勉強もかねて話しかけています。
 11日明洞で490筆、12日仁寺洞で1700筆、15〜18日(水曜デモ、挺対協シンポジウム、明洞)850筆、19日仁寺洞で3300筆もの署名が集まり、現在6700筆です。残る25、26日の2日間で1万筆を越えたいと思っています。19日はハンギョレ新聞の取材も受け、翌日の新聞に載りました。
 12月18日、そして判決に向けて私たちも頑張っています。お互いに頑張りましょう!

原告の付き添いや通訳で来て下さった方々からもお便りを頂きました。ご紹介します。

今回(第7回口頭弁論)朴頭理さんに付添ってきて頂きました朴博子さん(ソウル在住・「ナヌムの家」のボランティアスタッフ)からのお便りです。
こんにちは。
先日は心からのおもてなしを本当にありがとうございました。
思い出したエピソードをご紹介します。
:本人尋問の朝、朴頭理ハルモニはとても気合が入っていました。私が使っていた化粧水とミルクローションを「ちょっと貸して。」と、つけられ、身だしなみを整えられました。後にも先にも1回きりのことでした。
:尋問前は、「体を壊してみんなに迷惑をかけてはいけない。」とがんばって食事しておられましたが、尋問が終わった夜は、ほっとしたようで、さしみ定食をぺろり、わたしのお肉、ほかのハルモニのカレーにまで手を伸ばしておられました。とてもおいしかったようでした。
:「周りの人は日本に裁判に行くといえば、お金を持って帰ってくるんじゃないか。と思っているが、どうしてお金なんか持って帰れる?ほんとは、自分の裁判は自分のお金でしなければならないのに、全部日本の人が出してくれて、私は、1円も出したことがない。そして、何から何まで全部してくれる。」と何度も話してくださいました。
:朴頭理ハルモニのお気に入りの話は、「ナヌムの映画2では、ハルモニが1番の人気者でしたよ。おもしろかった。最高。」
ハルモニは本当にうれしそうでした。
:お疲れ様会のとき、「前は、よく飲んで、歌って、踊って上手(?)に遊んだものなのに、今はお酒が飲めないから・・・」と残念そうでした。ほんとは、もっと歌って、踊って、みなさんと楽しくやりたかったのだと思います。
:弁護士さんとの打ち合わせのとき、慰安所から帰ってどんな苦労をしたか?という質問に「過去の苦労は、思い出したくない。考えると頭が痛いし、一晩中眠れなくなる。」と答え、タバコを落ち着かない表情で吸ったハルモニをみて、帰ってからも同じくらい苦労したんだ。ということだけわかりました。でも、私はハルモニの過去の1部分さえも想像できていないのです。

いろいろありましたので、また思い出せばメールします。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。みなさまにもよろしくお伝えください。

追伸:私は韓国語の発音がいまいちらしく、ハルモニは今まで「おまえは韓国語が下手だ。」とめんどくさい時は”聞く耳持たず”だったのですが、今回は否応なく5日間一緒にいたためか、ハルモニのほうが私の韓国語に慣れて、帰る頃には2人の会話がとてもスムーズになっていました。おもしろいでしょう。ハ
:帰国後、法律家教育に関わっていらっしゃる先生方がナヌムに来られました。
いつも、お酒の席には参席されないのですが、「弁護士さんや裁判官の先生方が来ておられます。この間の裁判の話をしに行きましょう。」と誘ってみると、いつになくそそくさと出てこられ、皆さんにお酌までされました。
ハルモニの言いたかったことは、「裁判に勝つか?負けるか?」「広島の裁判にいたのか?12月の国際戦犯法廷に行くのか?」
「新しい法律を速く、速く作ってほしい。」でした。
ナヌムの会報にものせましたが、こんなこともありましたので送ります。
そして、この先生方は司法試験塾の先生方でしたが、生徒さんたちに、書類だけではなく、現場をみて、感じれる本物の法律家を育てたいというとてもすばらしい方々でした。
ナヌムに行くといろいろなすばらしい仕事をしていらっしゃる方々に会えてとてもいい気持ちになれます。

通訳の姜蓮淑さん(釜山在住)からのお便りです。
真夏の出来事 

 今年の夏、鎌倉へ行く電車の中で、「五体不満足」を書き、日本でも韓国でもベストセラーになった乙武君と、偶然であるが隣席になりました。私はあまりに嬉しくなり、つい握手をしようとしましたが両手がないのでサインすらやめました。もちろん彼なりにできるけれど、私が人前での彼にためらったのかもしれません。さすが、やや傲慢にもみえるぐらい自尊心の高いカッコイイ青年だなあとおもいました。
 それから10日後、82歳で五体自由ですが自分の存在を価値のない存在だと、一生を責めこんで来た李順徳さんともお会いしました。弁護士とのうちあわせの時、自分の話を語りながらもいまだに腹のおくにおさめておいた傷跡にふたたび苦しんでいました。あらためて苦しみました。人間以下のあつかいに人格がふみつけられてきたせいか、なにかで彼女の話をとめようとしますと、すぐ「もうしわけないというか」とこっそり聞く李。なにがあって彼女の頭の中は「あやまる」ことでいっぱいなんでしょうか。少女として女性として完全にふみつけられてきた李さんと、五体は不自由ですが満足に堂々と生きていく乙武君の人生がオーバーラップになり、私の頭から簡単には離れていかなく、なやまされてしまう真夏の出来事でした。
 それは人間が環境の影響を受けざるを得ない、いかに弱い存在であるかをしみじみ確認できることでした。聖書では「私の眼にはあなたは高価で尊い存在である」と神様のお言葉があります。そうです。人はだれでも、尊い存在なのです。たとえどんなことがあってボロボロになってしまって、人格の喪失になってしまった存在であっても、尊い自分であることに気づき、喜びを持って生きていく権利が与えられていることを分かってほしいです。
 日本人にふみつけられましたが、幸いに意識のある日本人のかたがたの愛により受け入れられて、癒されつつありますので死の瞬間からも、蘇生のエネルギーになったのではないかとおもいました。それは支援してきたみなさんの希望という愛の労苦のおかげさまでしょう。
 乙武君が生まれたとき、お母さんの一言は「カワイイー」でした。まわりの心配や気配りをみごとにやぶって、喜んでうけいれてくださったことのように、みなさんは常に喜んで労苦をはらって受け入れて下さいました。それは、すがらしい愛のはたらきでした。
 広島裁判からかかわり、私は通訳者としては失敗でした。言葉の表現だけではなく客観性を失ってしまったからです。ですが、しんまいのカウンセラーとしては満足しています。朴・Soさん、李順徳さんの深い傷跡である心の痛みが私に感情転移され、少しでも共に病んであげることができましたので幸いです。
 苦しいうちあわせの後、李さんはなんども「ありがとう」をくりかえしました。そのほほえみと声はみなさんにぜひ見せたい心からの喜びではないかとおもいます。
 長い間、歴史の事実を真実にかえようとはたらいてきた弁護士の方々や支援会の方々に頭が下がります。みなさまのお働きがきっと勝利になりますように、原告の方々が完全に人格の回復される判決になりますようにお祈りします。