「戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会」編
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「関釜裁判を支援する会」を閉じるにあたって
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写真は「関釜裁判を支援する会」を閉じる集会の様子
2013年9月29日


「関釜裁判を支援する会」終わるにあたって

山下英二  2013年10月6日

1992年に提訴し「謝れそして償え 戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会」がハルモニと共に歩み始めました。
下関裁判所に向かう車中では、軍歌や童謡の大合唱でした。
法廷での証言が近づくと緊張感から昼食が喉を通さず、重い空気になりました。
でも花房さん宅に帰り、ハルモニが拵えた美味しいキムチとゆったりした夕食と語らいは、本当に楽しいひと時でした。
しかし、不当な判決が読み上げられた瞬間から、怒りの叫び声はいまでもしっかり脳裏に蘇ってきます。
下関でも広島でも体中で表現されたハルモニの腹の底からの憤りを、
私は決して忘れてはならないと思っています。
 日本政府がきっちりと謝罪し、賠償をする中からアジアのみなさんとは真の和解の道は切り開かれていくものと思っています。
今は私たちが提訴をした1992年よりはるかに情勢は険悪なものになってきています。
 「支援する会」の活動を通じて、ハルモニをはじめ素晴らしいみなさんと出会うことができました。
この貴重な財産を大切にし、これからも戦後補償を求める活動を歩んで行きたいと思っています。
  


支援する会「解散」に思うこと

花房恵美子 

今、原稿を送ろうとしてHPをみたら希さんの原稿がUPしてあって、
読ませてもらって胸が熱くなりました。
ありがとう。
関釜裁判にかかわった多くの方々が
諸事情で共に活動できなくとも心を寄せてくれている、
そのことが嬉しく大切なことなんだと思います。

29日の支援する会を閉じる会で私は
「何も『解決』できてないので残念でしょう!と言う声もあるけれど、
そうは思わない。やれることはやったと思っている」
と話しました。
そのあとで「では、何をやったんだろう?」と自問自答しました。

「裁判支援」
「戦後補償問題の世論化」
「『慰安婦』問題の立法解決」に向けて、
できる限りのことに取り組んで、
現在の日本社会の「空気」や日韓両政府間の
かつてない不信と断絶状態を見ると、
この20年は何だったのだろうかと思わないでもありません。

でも、今感じることは
原告ハルモニたちが
無条件で私たちを信頼してくれていること。
国家も民族も背負わずに
私たちはおばあさんたちが大好きであること。
お互い無私の愛情で見守り繋がっていること。

解散しても、これからも続くおばあさんたちとの関係性が
この20年の成果であり、
宝なのだと思います。

また、もうひとつ大きなことは
自分自身への肯定感かもしれません。
非論理的で、政治音痴で、
厳しい対決ができなく、あいまいな性格なのに、
つい先走 りしておろたえている、
「運動」には不向きな性格だと思っていたのに、
何故か、いつもあなたはそのままでいい
と傍でささやかれているようなそんな感覚を味わってきました。
私が私でおれた。
この自己肯定感も大きな宝です。

表現しきれないほどの「宝」をくれた
関釜裁判と関釜裁判を支援する会に感謝して・・・

年に1回しか訪韓できていませんが、
今後このHPが存続する限り
おばあさんたちの消息はお伝えしていきます。
 
  


「関釜裁判を支援する会」を閉じるにあたって

森永 希 

(前文)
今、会が解散したと聞いて、もった感想を正直に書きます。
寄稿のお誘いを受けましたが、
寄稿するのに適切な文章かどうか、
また、たくさんの豊かな経験を頂きながら、
いつの間にか 会からフェードアウトした私が、
寄稿するのに適切な人物かどうか。
会員の皆さまが、私がこの文章を掲載するのを了承して頂けるならば、
もしくは、掲載することが会にとってマイナスにならないのならば、 掲載ください。

********

学生時代に花房夫妻宅でおいしいご飯をごちそうになりながら、
様々な話をさせていただいたことを、懐かしく思い出します。
しかしそれは、"自分"の問題をクリアにするためであったのだと、猛省しています。

いつのまにか、会からフェードアウトしてしまい、
当時様々な経験をさせていただいたことを、
会に還元できないどころか、
"慰安婦"や"挺身隊"とされた原告の"ハルモニ"をはじめ、
様々な活動で出会った"ハルモニ"のために、
何の働きもしない・できない日々を送ってきました。

橋本発言等、「慰安婦制度」や「"強制"連行」を否定したり、
正当化する発言があるたびに、
また身近でもそのような発言があるたびに、
それに対して理論的に反論ができず、
いつも感情的にしか発言ができない自分にいらいらしたりもしています。
当時、もっときちんと勉強しておくべきでしたし、
会とつながりを持ち続けていれば、と幻のように思い返しています。

"ハルモニ"たちに寄り添い、会を続けてこられた会員の皆様に敬意を表します。
今後とも、"ハルモニ"のために、
そして、私たちの住む社会がだれでも心地よく過ごせるようになるために、
この豊かなつながりが様々な形で生かされる ことを、心より祈ります。
 
  


関釜裁判を支援する会の解散にむけて

塚本勝彦 

「関釜裁判を支援する会」の解散。お疲れさまでした。
ほんとうにお世話様になりました。

私たち、広島高裁から、かかわりを持たせていただき多くのことを学ばせていただき、
あたらしい出会いも生まれ私の人生に幅・深みを与えていただきました。

個人的には、父の供養という課題に気付きました。
父は朝鮮総監府時代、刑事をしていました。
直接、連行にはかかわってないようでしたが当時、
警察官が通ると泣く子も黙っていたと聞きます。

原告ハルモニを宮島観光に行くときこのことを話しました。
とても勇気が必要でした。
でも、ハルモニの前で、父のことを話すと胸がすっきりしました。
それまで、胸に棘が刺さっていました。
父は、済州島で戦死しました。
その供養を終えて私の関釜裁判で学んだ人生観にひとつの区切りがつきます。
ありがとうございました。
本当に、長い間お疲れ様でした。
出会いに感謝します。

日本政府、ならびに企業相手にした「関釜裁判」「不二越第二次訴訟」裁判は、
原告の主張する謝罪、反省、補償がかなえられなかったことは残念でなりません。
史実はあいまい模糊にしてはならないと思います。
そのために、私たち自身が日本の歴史を深く学ばなければならないと気付きました。


<追伸>
残念なことは、母親と一緒に供養ができなかったことです。
母親が倒れて八年、いま養護施設でお世話いただいています。
自ら食べること話すことはできませんが、たまにさよならと手を振ってくれます。

養父が亡くなって四年。
三年の「喪」の時期を過ぎてから行動しようと内心では準備していました。
養父にたいする遠慮があったのです。

今おもえば、養父は軍人でありましたが、
事柄を説明すれば実父の供養について理解してくれたであろうと思えるからです。
母が倒れる前、養父に私の気持ちを話し理解してもらったなら母と一緒に供養できたのでは・・・
いまでは、これでいいんだ。これでいいんだと自分に納得しています。
つれあいの孝子は、それがあなたの生き方でしょうとの返事。
来年の命日にはぜひ実現しようと話し合っています。

関釜裁判との出会いは、私の人生の大きな節目に向かって背を押されました。
すべての出会いに感謝です。ありがとう。
 
  


「関釜裁判を支援する会」を閉じるにあたって

M.O. 

1991年だと思いますが,福岡のキリスト教センターで,元「慰安婦」ハルモニの証言集会を聞きました。
当時大学生だった私は,戦争中大変なことが起こっていたことに衝撃を受けました。
それが関釜裁判にかかわりだした始まりです。

下関判決あたりまでは「関釜裁判を支援する会」の会議にも参加していましたが,
途中からはなかなか出られなくなってしまいました。
しかし,その後,冊子作成とこのホームページ作成(以下HP)の担当という形で
会に貢献することができ幸いでした。

HPはR君,M君夫妻,Hさんたちが最初に作成したものです。
それを途中から引き継がせて頂きました。

冊子は「下関判決」「PTSD報告書」「広島高裁控訴審 最終準備書面」
「韓国憲法裁判所「決定」を読む」の作成に携わることができました。

HPや冊子という形に残るものを担当できてよかったと思っています。
これらは私にとって幸いなことでした。
この役割が与えられていなかったら,私は「関釜裁判を支援する会」
からフェードアウトしていたかもしれません。

私のHP作成は,素人の粋を出ません。
ですのでHPのデザインや機能が悪くて申し訳ありません。
特に最近作成された,日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会の
HP(http://fightforjustice.info/)と比べると,その歴然たる格差に恥じ入るばかりです。

また,HP担当者としては「関釜裁判を支援する会」の活動に
積極的に出て行き,取材をして情報を載せるべきでした。
それも十分にはできませんでした。

しかし現在,HPは毎日10人ほどの人が見て下さっています。
研究者や戦後補償運動を展開している方たちが見てくださるようです。
会は閉じますが幸い今後もHPは残します。
今後も重要な情報は載せて行きますので,
どうぞたまにHPを覗いて下さい。

また私の所属していた九州大学YMCAの後輩達が
「関釜裁判を支援する会」に多くかかわってくれたのは,嬉しいことでした。

自分の青春時代後期に「関釜裁判を支援する会」にかかわることができて,とても幸せでした。
多くの人たちとの出会い,それも真摯に生きる人たちとの出会いがたくさんありました。
これらは私の財産になりました。
社会を見る目,社会にかかわっていく態度を教えてもらったような気がします。

20年にわたり,どうもご苦労様でした。
また,どうもありがとうございました。
関釜裁判は,戦後補償問題にひとつの風穴を開けるという成果を引き出せたのだと思います。