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「ハルモニたちに会いに行きました!」記 
 
岡村道子(関釜裁判を支える福山連絡会)
 


 昨年12月14日の「関釜裁判を支える福山連絡会」の3周年集会の際、都築代表の方から、新年を迎える原告ハルモニたちに、何かメッセージなりプレゼントなりを送ろうということになりました。昨年3月29日の、あの不当判決以後、最高裁に上告は していますが、広島高裁の時のような、ハルモニたちの思いを直接伺いながら裁判を闘っていくといったこともできず、私自身2カ月前に日本に帰ってきたものの、 どう支援していくべきか、考えていたところでした。私の帰国は突然だったため、この年末にゆっくりと韓国に遊びに行く予定にしていたところへ、都築代表の提案があり、すぐさま「私が持って行きます!」ということになりました。とはいえ、ハルモニ全員にお会いするのは、日程的にも無理なので、ソウルと光州のハルモニたちには直接お会いし、その他の方々には郵送することにしました。
 
 
 12月25日、広島空港から飛び発つ直前に、「関釜裁判を支える県北連絡会」 (の福政さん)から「ささやかでも、心が温かくなるようなものを・・・」とカンパをいただき、ソウルに着いてすぐ、ソウルでの友人、テグの「ハルモニとともにする 市民の集まり」の孔さんと、東大門市場で9人分の暖かそうな肌着を買い、翌2 6日の水曜デモの前に送りました。(同じくテグの「市民の集まり」の李さんにも、発送作業の際、手伝ってもら いました。)2001年最後の水曜デモには、やはり朴 頭理ハルモニのお姿はな く、 3周年集会に来て下さった薮本さんがナヌムの家に行かれるということで、お願いし ました。ハルモニは、お身体の方は相変わらずそれほどよくはないようですが、 「あと一回で裁 判 が終わる。」というようなことをおっしゃっていたそうです。  ソウルを後にした私は、一路テグヘ。テグでは、李ヨンスハルモニのおうちでお世話になりながら、金粉先ハルモニや沈達蓮ハルモニ、「市民の集まり」、そして 「市民の集まり」をいろいろな面で支えておられる郭病院の郭先生にお会いしたり、 水曜デモに毎週参加されているハラボジから伺った高霊(コリョン)、世界遺産の八万大蔵経がある海印寺を訪れました。高霊(伽耶大学の敷地内)には、3年前に建てられた「高天原故地」という石碑があり、日本書紀によると、この場所に日本の天皇の始祖が住んでいたそうです。(その記述部分や系図の石碑もありました。)私は、「自分には朝鮮の血が流れている」と言った天皇発言の方が、神話の世界よりも信憑性がある(これは真実ですが)と思いましたが、その石碑の除幕式には、日本の学 界 からも60名ほど参加したそうです。


 そして、光州で原告ハルモニたちを支援して下さっている、「太平洋戦争犠牲者 光州遺族会」代表の李金珠さんに連絡をとり、29日に伺うことになりました。 その日、光州のバスターミナルで私を迎えて下さったのは、昨年11月の県北連絡会 の招きでキムチ講習会に来て下さった金Heハルモニでした。(金Heハルモニは、 名古屋・三菱裁判の原告です。)ハルモニは私が来るということで、キムチを持って出迎えて下さいました。再会を喜び合いながら、李金珠さんのお宅へ行きましたが、 あいにく梁錦徳ハルモニには連絡がつかず、お会いすることはできませんでした。 しかし、病身のため、お会いすることは難しいと思っていた李順徳ハルモニが、日本から来ているということを聞いて、親戚の方に伴なわれて来て下さいました。一度は死に かけたほど、お身体が悪かったのですが、やはり未だに日本兵に殴られた頭は痛いものの、以前広島でお目にかかった時よりも、かなりよくなられておられました。李 金珠さんが手紙を読んで下さっているのを、横でとてもうれしそうに聞いておられま した。お会いできなかった梁錦徳ハルモニからは、後でお電話をいただきました。いつものとても元気そうなお声でした。 さらに金Heハルモニは、ソウルから来た私の友人ともども、翌日予定していた 雲住寺行きにも、家から近いということで同行して下さるなど、本当に私の訪問を喜んで下さっていました。 再度、ソウルに戻り、朴Soハルモニにお会いしました。「こんな私に日本の人は本当によくして下さるけど、私は何もできないね・・・」と、いつものようにとても謙虚なハルモニでした。肌着のサイズが自分がいつも着ているサイズと同じだと言って、とても喜んで下さいました。(ほんとはちょっぴり心配していたんです・ ・・。) 3月に日本で再会することを(不二越に対する未払い賃金要請のため、来られる予定) 約束して、姪ごさんの見舞いに行かれる姿を見送りました。 ハルモニたちの喜んで下さるようすを見るにつけて、今回、こうした活動が本当に大事だということを痛感しました。直接行くことはできなくても、ハルモニたち と これからもつながっていく動きを作っていきたいと考えています。